Saturday 12 November 2016

Guy Fawkes Night ガイ・フォークス ナイト

11月5日は ガイ・フォークス ナイトでした。
簡単に言えば 年に一度の<花火の日>のです。


この日 あちらこちらで花火を打ち上げる音が鳴り響き渡ります。

日本のように夏場にいつでもどこでも(?)個人的に楽しむために花火ができるのとかなり違います。

そもそも この ガイ・フォークス ナイト とは何なのでしょうね~。
ガイ・フォークスとは人の名前です。 

 ガイ・フォークスのマスク 

ガイ・フォークス

ガイ・フォークス
Fawkes arrest2.jpg
逮捕されるフォークス
生誕 1570年4月13日(推定)
ヨーク
死没 1606年1月31日(35歳)
ロンドンウェストミンスター
別名 グイド・フォークス、ジョン・ジョンソン
職業 兵士
罪名 大逆罪
刑罰 首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑
エドワード・フォークス、イディース・フォークス

動機 火薬陰謀事件
ガイ・フォークス: Guy Fawkes[ˈɡ ˈfɔːks]1570年4月13日 - 1606年1月31日[注釈 1])、別名グイド・フォークス: Guido Fawkes[ˈɡwd ])は、1605年に発覚した火薬陰謀事件の実行責任者として知られる人物である。
イングランドヨークで生まれ育ち、母親の再婚相手の影響から、カトリックを信奉するようになる。青年期にはヨーロッパ大陸に渡りカトリック側で八十年戦争に参加した。後にトマス・ウィンターと出会い、ロバート・ケイツビーが首謀した火薬陰謀事件に関わるようになる。1605年11月5日、当局による貴族院地下の捜索が行われ、貯蔵した火薬を見張っていたフォークスは逮捕された。偽名を名乗り証言を拒んだフォークスであったが、拷問にかけられ計画の全容と共謀者の名前を白状した。1606年1月31日、フォークスは絞首刑台から飛び降りて首の骨を折り死んだ。
フォークスは火薬陰謀事件の首謀者ではなかったが事件そのものと同義語となり、陰謀が発覚した日はイギリスの記念日(ガイ・フォークス・ナイト)となっている。また、英語で「男、奴」を意味する「ガイ(guy)」は、彼の名に由来する[1]

とありますが ちょっと説明があまりにも難しそうだったので もっと分かりやすい説明を探してみると <<NAVER まとめ>>を見つけましたので こちらも転写しますね。


由来は?
1605年にカトリック教徒のガイ・フォークスとその共謀者たちが、国王ジェームズ一世のカトリック弾圧に反対して、国会議事堂の爆破を企てたことから始まります。
しかし、開会式のわずか10日前の10月26日、William Parker, 4th Baron Monteagle(第4代モンティーグル男爵、ウィリアム・パーカー)の許(もと)に匿名による密告があり、これが契機となり、開会式当日の11月5日、治安判事 Thomas Knyvet(トマス・ナイヴェット)らによって、議事堂の地下室に山のように積まれた36樽、約2.5トンもの火薬と、犯行の実行役 Guido (Guy) Fawkes(グィード(ガイ)・フォークス)が発見され、国王らは事無きを得たのです。  
この暗殺が未遂に終わったことを祝っているのが「ガイ・フォークス・ナイト」なのです。

 イギリスでは ハロウィーンよりも盛大なガイ・フォークスナイト。

平たく言えば ガイ・フォークスは宗教的な反逆者で むほんを企てたので処刑されてしまった。 
そして ジェームズ国王が助かったのをお祝いして花火を上げる。みたいな・・・
でも 考えてみると言論の自由も宗教の自由もないその時代にあったためのむほんだったわけで 気の毒なような テロの走りのような・・・複雑な気持ちになってきて 単純に<花火ができる♪わーい☆>みたいに浮かれた気分になれなくなりました。

*写真はすべてGoogle imageより。

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